便
0:
 夢の中から、無理矢理現実への扉をこじ開ける。そんな形容がとても良く似合うくらいの目覚めだった。すでに緊張している。

時間は?
…予定よりも十分はやく起きた。

 仕事は休み。平日なら、仕事帰りの時間で行くしかない「ファイトクラブ」に、今日は最初の試合から行く事ができる。しかも今日の目玉試合は、これ以上無いくらいの鉄板だ。ファイトクラブのベテランファイター、ヘイヤン・W・ブラックドックと、デビューして5年と日は浅いが、いままで無敗のルーキー、ネット・ベレアセートの試合。

 成績だけ見れば、良い勝負になりそうだと思いがちだけど、一つ一つの戦いぶりからみれば、ブラックドックの方が遥かに格が上だ。確かに彼は無敗では無いけれど、それは彼が、このファイトクラブが賭博であり、エンターテインメントであることを十分に理解しているから。でも今回は、対戦相手となる、べレアセートの無敗記録は打ち破りたいはず。確実に本気で挑んでくるだろう。そうなれば勝負はもう決まったも同然だ。

 着替えて、適当に朝食を取る。夜はもっと豪華なものが食べられるぞ、と思いながら、部屋を出ようとした。そこで、下駄箱の上に置いてある請求書が目に入って、少し気分が沈んだ。そうだ、昨日は結構負けたんだよな…。
 家に着くまで、深い自己嫌悪と、今後の生活費の計算しかしてなかった気がする。その計算の中に、今日の試合の事も入っていた。一応、そのための種銭は確保しておいた。

でも、これを最後に、ファイトクラブは観戦のみにしようと思った。

「ナオキさん、おはようございます。今日はちょっと早いですね」
「あ、おはようございます」

 アパートの階段を降りたところの玄関の脇に、小窓があり、そこからコダマさんが挨拶してきた。このアパートには、管理人さんも住んでいる。小窓の中が管理人室兼自室というわけだ。メガネをかけてて、いつもボーっとしている印象なので、表情が読み取れない。別に読み取らなくてもいいんだけど…

「うん、今日はいつものところに行く前に、ちょっと会う人がいて」
「そうですか…あ、これ、ナオキさん宛ての手紙ですが、帰ってきてからにしますか?」
「あー…いや、今もらっておきます」

 手紙を受け取った。これから会う人っていうのは、この手紙が関係している。まあ、本当にちょっと気になる程度なんだけど。軽くお礼を言おうと、コダマさんの方に顔を向けると、コダマさんは急に顔をそらした。意味がわからない。

「…なんかしましたっけ、自分」
「いえ、ちょっと間があったもので。それでは、いってらっしゃい」

 顔をそらしたまま、これまたよくわからない返答をされた。

1:

 最近、「レストアーム」というグループが、仕事仲間内で話題になっていた。頼まれた依頼をこなす、いわゆる何でも屋らしい。まあここまでなら、そこらへんの探偵や、自治警察に頼めばいい話なんだけど。噂になってるのは、その依頼達成率の高さと、依頼達成までの時間の圧倒的な短さ。
 ただ一つ問題があるのは、謝礼の多さや内容の善し悪しに関係なく、依頼を断る事があること。それでよくやっていけるな…と、一応仕事している身として思った。
 ファイトクラブの前に会う相手というのが、実はその「レストアーム」だったりする。待ち合わせ場所に着いたので、辺りを見回してみる。左腕に黒の長手袋が目印だって聞いてたけど…

「…ナオキさんですか?」

 背後から声をかけられ、振り向くと、少女がいた。銀色のセミロングヘアーに、目印である左腕の長手袋。一見どこにでもいそうな、普通の女の子だった。

「はい。もしかして…レストアームの人ですか…?」
「ええ、オーといいます。よろしくお願いします」
「あ、ああ…そうなんですか。聞いた話から、ガタイのいい男性だと思っていたので…」

 オーと名乗った女性は、クスリと笑い、

「ああ、はい。私は最近手伝いで入ったんですよ。ガタイのいい男性は今、別の用事に行ってるんです」
「そうでしたか。あ、僕もこのあと用事があるので、本題にはいりますね」

 懐から、さっきコダマさんから受け取った手紙を出した。

「依頼というのは、この手紙の事です。おそらく同じ人からたびたび届くので、ちょっと気になって」
「見せてもらっていいですか? …差出人の名前がありませんね」
「はい。その差出人を探し出してほしいんです。その手紙はオーさんに預けます」
「いいんですか?個人的なものですし、見たところまだ未開封ですが…」
「大丈夫です。きっとまた、本文は何も書いてありませんから」
「何も書いてない…でも、イタズラにしては、綺麗でかわいらしい封筒ですよね。ラブレターだったりして」
「そ、そんなありもしない事を期待しているわけじゃないです。何の目的で、差出人は、僕にこんなものを送ってくるのか、聞きたいだけです」
「へえ、結構律儀なんですね。普通ならただのイタズラって割り切りますよ」
「ん、まあ、ちょっとハッキリさせといたいだけなんで。それじゃ、よろしくお願いします」

2:
 ナオキさんは私に手紙を預け、人ごみの中へ消えていった。
さてと…とりあえず、手紙が配達される順と逆にたどっていくしかないかな。彼のアパートへ行ってみようか…。

 彼のアパートは、高架下にひっそりとあった。アパートにしては珍しく、二階までしかない。私は、いろんな物に対して、その歴史や移り変わりを知らないからよくわからないんだけど、こういうのを「レトロ」っていうのかな?
 アパートの入り口まで来た。立地条件の割に、意外に明るく、上を通る車の音は、思ったほど響いてこない。結構穴場かもしれない。

「おじゃましまーす…」
「あら、いらっしゃいませ。どなたかに御用時ですか?それとも、入居希望者の方でしょうか?」
「あ、いえ、こちらに住んでいる、ナオキさんにちょっと頼まれ事を。住む場所を探していたなら、ここに決めていたかもしれませんね」

 管理人とおぼしき女性は、それを聞いて少し微笑んだように見えた。メガネのせいではっきりとはわからなかったけど。

「ありがとうございます。意外に静かで、良い場所でしょう? アパートの周りの木々が、車の騒音をうまい具合に消してくれるんですよ。ところで、…ナオキさんからのたのまれ事ってなんでしょうか?」

3:
「…嘘だ」
 今日の目玉試合が終わった。結果は、新人べレアセートの、無敗記録更新。アナウンスは、べレアセートの展開にブラックドックがうまく乗ることができなかった、と言っていた。
 それはありえない。その気持ちは、周りの多くの常連客も同じだったようで、チケットを床にたたきつける人や、いまは誰もいないリングに向けて罵声を浴びせている人もいる。僕はそんな事をする気力もなかった。

「どうでした?今日の試合」

 話すような人などここにはいないのに、誰だろう…と振り返ると、声の主はなんと今朝のオーさんだった。彼女は隣に座った。まさか、もう差出人の場所をつきとめたのだろうか。いや、それよりも…

「ど、どうしてここにいるってわかったんですか? どこへ行くとも言ってないのに」
「ふふ、偶然ですよ。ほら、例のガタイのいい男性がここにいるんです。彼を迎えに来たら、ナオキさんがたまたまいたんです」
「そう、そうだったんですか…」
「それで、今朝依頼料の事を確認しておく事を忘れていたのを、今思い出しました」
「あ…あ、それは…」
「負けてしまいましたね、ブラックドック。ナオキさんはどちらに賭けていたのでしょうか? …ごめんなさい、いじわるが過ぎましたね」
「…いえ。依頼料は、払えません。申し訳ありません」
「そうですか。実はもう、あの手紙の差出人がわかったのですが…残念ですが、教えることはできませんね…」
「え! …あ、いえ、すみません。なんでもないです。全部自分のせいですからね…」

 僕は力なく立ち上がり、別れの言葉を言おうとした。と、彼女はリングの方を見たまま、こう言った。

「ナオキさん。かわりに、このファイトクラブにまつわる面白い話を教えてあげましょうか?」
「…はい?」
「多分、私はあなたよりもずっとここに詳しいですよ。聞いて損は無いと思います」

 僕はどうせ、しばらくは何もすることはできないし、何かをやろうって気にもなれなかった。このまま帰っても寝るだけだから、

「わかりました。聞くだけ聞きます」

そう言って、再び腰を落とした。ほかの客は、あるものはうなだれ、あるものは意気揚々とした様子で、ポツポツと帰りはじめていた。

「今日のこの試合の予想は、ほとんどの人がナオキさんと同じだったと思います。まあ、普段の試合なら、タイマンではなくバトルロイヤル形式がメインですから、主催側と客側のバランス、うまく取れています。では、今日のような、あからさまなイベント試合では、普通にやって、主催側が利益を得られるでしょうか?そんなわけありませんよね」
「まさか…出来レースだったとでも?」
「はい。そのまさかです。胴元が儲けない賭け事は存在しません。まあ、ときには本当にサービスで、奮発する事もありますけどね」
「で、でも、そんな事していたら、客は離れていきませんか?」
「離れていってますか?」

彼女はさらりと、僕が聞いた事を、そのまま聞き返してきた。僕は、自分の言っていることがよくわからなくなってきた。確かに、今日うなだれて帰っていった客は、明日も何食わぬ顔をして、ここへやってくるだろう。昨日の僕自身がそうであったように。

「あからさまなイベント試合に、客が気付こうが、気付くまいが、必ず主催側が利益を得られるように仕込みますし、なるべくならその仕込みに気付かせない努力もしています。そして、今回の出来レースは、実はそれだけではなく…」

彼女はそこで言葉を飲み込んだ。そして…

「これを言ったら、あなたに本気で怒られるかもしれません」

「…い、いえ、言ってください。もう少しで、何かがふっきれそうな気がするんです」
「わかりました。実は、私がここへ迎えに来たガタイのいい男性とは、ブラックドックの事です。そして、彼に八百長をさせたのは、私です」

「何故かって? 単純な計算です。あなたからの依頼料と、ブラックが勝った時の賞金を合わせた金額よりも、わざと負けた時に主催に頂ける謝礼の方がずっと多いからです」

 僕は大きく息を吸って、ゆっくりはいた。

「あっはっは!いや、ありがとうございます。あなたが男だったら、掴みかかっていたかもしれませんが」
「本当に、ごめんなさい」

 言葉では謝ってはいたけれど、彼女は悪ぶれる様子も無く、それが自然な事のようにやわらかい表情をしていた。僕の怒りは、すぐにどこかへ消えていった。さっき自分で言ったように、本当にふっきれた気分になれた。

「ひとつだけ教えてください。僕が今日ここに来る事、いや、ファイトクラブに出入りしてること、わかっていましたよね? でなければ、そんな計算はできないはずです。いつから知っていたんですか?」
「今朝会った瞬間です。さっきも言いましたが、私はこのファイトクラブについてはあなたよりもずっと詳しいです。試合を見に来る人たちが普段、どんな眼をしているか、どんな表情をしているか、よくわかっています。独特ですからね。あなたも例外ではありませんでした」

 僕は心のどこかで、周りの常連より少し上の視点で居るつもりでいた。第三者から見れば、結局はどちらも同じだったのだ。

「まいったな…でも、すごい観察力ですね」
「たいしたものではありませんよ。でも、あなたは、実際に話してみると、すごく能動的で、責任感のある人だなあ、と思いました。ちょっと意外でした」
「僕、そんな格好良い話、してましたっけ?」
「はい。だって、ギャンブルやってる人って、自分の生活と交遊以外の事に、余計なお金を使いにくいじゃないですか。でもあなたは、自分の生活を少しあとに回してまで、私たちに依頼をしたはずですよ?」
「それは…単に僕のお金の使い方が、馬鹿なだけかもしれませんが」
「確かに馬鹿ですね。でも、私たちに依頼をした事は、馬鹿な事ではないと思いますよ」
「はい。もう答えはわかっています」

 僕は立ち上がった。さっき一度帰ろうとした時より、少しだけ元気を取り戻した気がした。所持金はちょっと、致命的なくらいヤバイけど…。

「あ、ナオキさん」

 彼女はごそごそと自分のポケットをさぐり、何かをさしだしてきた。

「依頼を、こちらの勝手な理由で反故にしてしまったお詫びです。このカードがあれば、賭けることなくファイトクラブを観戦する事ができます。観るだけといっても、本来なら入場料代わりに少しでも賭けなければいけませんからね。もう賭け事はしない自信がついたら、また観に来てください」
「わかりました。ありがとうございます」
「あともうひとつだけ。依頼内容の件ですが、私たちに頼まなくても、あなた自身が動けば必ずわかるはずですよ。頑張ってください」

─こうして僕は、ファイトクラブを後にした。

(とりあえず、今溜まっている支払いと、手紙の事だけに専念しよう。特に家賃は…コダマさん、不思議と何も言ってこないからつい甘えてしまってたっけ…。とりあえず、家に帰ったら謝っておくか)

これからの事を考えながら、さっきもらったカードをよく見ようとして、ふと気がついた。というか、貰った時に気付かなかっただけなのだけど。カードを持つ指をずらす。

「あれ…なんで、二枚あるんだろう」

4:
「メガネやめて、コンタクトに変えてみたら?って言ってみたけど、多分変えないだろうな…あの照れた表情、私でもドキっとするくらいだったのになあ。…あれ、ブラック、いつから見てたの」
「いや、割と最初から。なんか男だったら掴みかかるとか言ってたから、こわいので隠れてた」
「…いやいやいや、あなたが出てきたら彼、逆に逃げ出してたと思うけど」
「まあいいや。それより、べレアセートの奴、八百長だと知らずに調子に乗りやがって。次当たったら真っ先にぶっ倒す」
「あー、あそこだけはやっぱり演技じゃなかったんだ。ちょっとさすがにあれは痛そうだった」
「フン、レストアームの方の依頼でなきゃ、八百長は二度とごめんだ。でも、俺がワザと負けることが、『あいつにギャンブルを止めさせる』っていう依頼達成になったのか?」
「うん、なんとかね」
「変に守銭奴ぶらないで、最初から全部話してしまえば…あー、それだとギャンブルをやめるとっかかりができないのか。まったく、オーはうまいこと話をすすめられるもんだな」
「今日は簡単だったからよ。だって、物語の登場人物は二人しかいなかったから。念のため、またギャンブルをやりださないための、『保険』も入れておいたけど、ちょっとヤボだったかな?」


「O〜オー〜 -REMIT second generation-」


 2年ぶりに続き書いた。ギャンブルの事ばっか書いたけど本当はアパートでのオーとコダマのやりとりの方をもっと書くつもりだった。
 対戦相手の名前ですが、ランダムにカタカナを生成してくれるスクリプトがあったのでそれで作りました。文章を書くにあたって、固有名詞の重要さは一番低いレベルに設定してます。
 あと、いわゆる「萌え」を文字にすれば恋愛物になるなあと思った。
あとがき執筆:2005年9月18日