0:
 「うーうー」という声が聞こえた。わたしは読んでいた雑誌を机に置くと、声の聞こえてきた、奥の方に歩いていった。鉄格子の向こうの闇の中から、鈍い光を放つ複数の眼が見える。それらはこちらを向いてはいるが、私を見てはいない。この仕事はもう長いが、これにはいつまでも慣れる事はなかった。

 声のした房の前にきた。ペンライトで照らすと、中にいる「それ」はさっきよりわずかに興奮した様子で再びうーうーと呻いた。私は鉄格子に繋がっているワイヤーの錠をはずし、ワイヤーをぐいと引っ張った。鉄格子に何かがぶち当たる音と共に、「それ」の青白い腕が隙間から飛び出た。私はすばやく注射器を取り出すと、その腕に注射し、ワイヤーの錠を再びかけた。腕はゆっくりと檻の中に戻っていき、あの鬱陶しい声は聞こえなくなった。

1:
 500年前の大戦終結時、突如としてその世界は訪れた。碧色の霧がたちこめ、空はその霧に染まり、以来青空を見る事はできなくなった。愚かな戦争の終結と、青空の代わりに人類が手に入れたもの。それは永遠の若さと死ぬことの無い体だった。

 人類が不老不死になって数百年の後、ある病に侵される人が現われ始めた。体中のほとんどの体毛が抜け落ち、皮膚の色は青白くなり、意識が無くなるというもの。彼らの病前の行動にはいくつかの共通点があり、且つそれが原因である事は証明するまでもない。主な原因として、まず一つは彼らは体を動かさなかった事。もうひとつ、食事を取らなかった事。いくら不老不死でも、人間、いや生物として最低限の行動を取らねば、無事でいられるはずが無い。

 大戦終結以来500年間世界を管理している「塔」は、この病に侵された者たちを「罪人」とし、塔に収容しはじめた。人道主義者や患者の家族等、最初は抵抗していた人々も、その気味の悪い病人と暮らすうちに考えを変えたり、治せるすべが無いという現実に、徐々に「塔」の方針に従い始め、今では誰も反発する人間はいなくなった。普通に暮らしていればかかる筈のない病気なのだ。そうだ、かかるやつが悪い。そういった考えが長い時の中で常識となっていった。

 そして、その罪人を収容しているのが、塔の中の施設、この部屋というわけだ。

2:
 くそ、囚人に注射する薬品が切れてしまった。それにしても…今日はなんだかやけに囚人が騒がしい。わたしは長いことこの仕事をやっているが、一度に数人が、しかも立て続けに発作を起こす事態はこれが初めてだ。と、誰かが監獄の扉を開けて中に入ってきた。まだ休憩の時間ではない。

「誰だ?ここは塔の職員でもみだりに・・・?」

そこには見知らぬ男が息をきらして立っていた。が、塔の職員である事は間違いなかった。男は早口で次のことを告げると、足早に出て行った。

「ここには塔内放送が届かないから、直接連絡に来た。また私が連絡にくるまで、この部屋から出てはいけないし、誰も入れないように」

 手には捕獲銃を持っていた。

 再び連絡が来て、戒厳令が解かれた数時間後、新たな囚人が運び込まれてきた。わたしはその囚人の顔を見るために、シートをめくった。

「!?」

 なぜか変な違和感を覚えた。が、見た目はほかの囚人と変わらない。先程の出来事のせいだろうと思って、囚人を房に入れた。

 それから数ヶ月、「新入り」は他の囚人と少し違うところがあった。まず、彼は大変大人しかった。普通の囚人ならば2日に一回は必ず発作を起こすのに、彼はここに入ってきてからまだ一度も発作を起こしていない。それから、ある意味、「決定的な」違いが…彼は「寝返り」をうっていた。

 最初はわずかな違いだと思っていたのだが、最初にシートをめくった時のあの違和感から、徐々にそれは膨れ上がり・・・、わたしの中では彼はほかの囚人とは全く違うモノとなっていた。

3:
「冷えるな。もう夜なのか?」
「ああ…そうだな。時計を見えるところに移そうか?時間を知れないというのは不便だろう」

 彼とわたしが話をするようになってから、3年が過ぎようとしていた。最初、話しかけてきたのは彼からだった。その時のわたしは、少し驚きはしたものの、ああ、やはりなという思いもあった。

 いろいろな話をした。ネディアも戦時中の生まれ━原世代━であったので、話が合った。例えば昔の話。

「私が子供の頃に住んでいた街が空襲にあってな…友人が傷ついて、苦しみながら死んでいく様を私はただ見ている事しかできなかった。医者になったのもそんな経験からなんだが、働く場所は戦場だった。一般人は後回し。まわされるのは死にかけの兵士ばっかりだ。しかも、せっかく治せた兵士は、おおかた間もないうちに今度は教会へと行く事になる。

 生まれた時からずっと続いていた戦争は、もはやどこが正しく、どこが悪で、なんの為にやっていたのか。結局答えはでなかったよな。そう、『青空が消えた日』。あの時私は、ひとりの手遅れな患者を見守っていた。テントの中はむわっとした暑さで、患者の傷口からはうじがわいていた。まもなく息を引き取ろうとしたその時、外が騒がしくなったので様子を見ようとテントの入り口を開けたんだ。するとひんやりとした空気がテント内に流れ込んできて、何かと思ったら外はうっすらと緑がかった霧がたちこめていた。不思議に思っていると、テントの中からどよめきが起こった。私は振り返った。

 緑色の霧が、はっきりとその患者の体を包んでいた。彼の体はぼんやりとした光を発していて、とくに傷ついた箇所は真っ白になっていた。やがて、その患者が暴れだしたので、私は慌ててベッドから落ちないように支えていた。そこで私は疑問に思った。『この患者はもう動けないはずでは?』と。

 光が収まり、霧が飛散すると、なんとその患者は完全に回復していた。落ち着いた彼は、治った喜びよりも、何が起こったのかという戸惑いでいっぱいだったようだ。無論彼だけでなく、皆がその奇跡に騒然とする中、もう一つの奇跡がおきた。そのテントの中にいる一番の年配者は私で、あとは若い兵士ばかりだったのだが、その私を見て皆が呆然としていた。私はその時なぜか、妙に落ち着いていて、怪我でもしていたかなと鏡を見た。すると、私の顔が…40代であったはずの私の体が…、20代まで若返っていた・・・」

4:
 ネディアは幸運にも、500年前の大戦で身近な人を誰一人失ってはいなかった。しかし、塔の重要なポストにいながら、なにやら重大な規律違反を侵し、強制的にこの体にさせられてしまったというのだ。私はそれを不幸だと思っていた。しかし、彼が言うには…

「たしかに…もう多分家族に会えることはないと思う。それはすごく残念だ。でも、僕は一つの役割を見つけたんだ。永遠に続く退屈の中に一つの目的をね」
「役割?」
「この体は、一見ほかの囚人たちと同じように見えるけど、実は違う。塔の奴らは『実験』に失敗したと思ってるみたいだけど。…そう、例えば、この牢を自力でぶっ壊して、なみいる警備員たちをなぎたおし、脱出するって事もおそらく容易だ」
「!」
「でも…それはもちろん、罪の無い人たちを傷付ける。僕がしたいのはそんなことじゃないし、それでは変える事はできない」
「変える…?何を?」
「まあ、ありきたりな言葉だが、『運命』ってやつさ。それを変える事ができる人が、塔の外のどこかにいる。僕は彼女に会って、伝えなきゃいけない事があるんだ。それが僕の役割だと思っている」
「ずいぶんあいまいな話だが…少なくともここから出す事はできない。すまない」
「それはわかってる。だからあなたが疑われないような手をずっと考えているんだ」

 その時は突然に訪れた。突然夜中に塔から呼び出しがあって、私は「仕事場」にかけつける事になった。塔のロビーまで行くと、二人の塔職員が待っていて、私に目隠しをした。そして、支えられながら階段やエレベータを昇り降りし、「仕事場」まで行く。そう、私は仕事場であるあの牢獄が、塔のどのあたりにあるのか知らない。ネディアを連れ出せないのは、もちろん責任というものが第一にあるが、自分ひとりでは塔から出られないという現状が決定的である。

 牢獄に着くと、入り口の前で詳しい説明を受けた。囚人の一人が激しい発作を起こして、投薬をしようとした職員につかみかかったらしい。今は落ち着いているが、今日からしばらくここに泊まって、様子をみてほしいというものだった。

 発作とはいえ、つかみかかるほど動けるケースは、病に冒されたばかりの囚人にしか見られない。だが今の房にはそんな囚人はいない。とすると、私には思い当たる人物は一人しかいなかった。そんなことを考えながら歩いていくと、予想通り、職員は彼-ネディアのいる房の前で立ち止まった。彼は壁にもたれかかり、ぐったりとしていた。塔職員が出て行ったことを確認すると彼は上半身を起こした、演技がまだ続いているのでは無く、本当に疲れている様子だった。私は話しかけた。

「ここから出ようとしたのか?」
「違う、そんな事をするつもりじゃなかった…でも、そうかもしれない。必死になって自分を抑えていなければ、彼を『殺してしまう』ところだった」
「殺すって…そんな事ができる訳が…」
「わからない。でも、そんな気がしたんだ。この手にもう少し力がこもっていたら、僕は…。これが無意識にやったことなのか、自分の意思でしてしまったのか、自分でもはっきりわからない。僕は、僕は…」

 精神安定剤を与えると、彼はだんだんと呼吸が落ち着き、そのうち眠りに落ちた。ネディアも、段階は違うものの、ほかの囚人と同じようにだんだんと自我が消えてゆくのだろうか。それとも…

5:
 突然ガンッという金属の響く音と床の衝撃を感じ、目を開いた。眼前に広がるのは白い手。にぶく内側から光っているようだった。

「ネディ…ア?」

 震える白い手の向こうには、確かに彼がいた。彼のいた牢の鉄格子はまるで砲丸が超高速でぶつかったかのようにひしゃげており、天井からはコンクリートの粉がぱらぱらと降っていた。今にも私の頭をつかみ、握りつぶそうとしている。が、何故か寸前で動きが止まっていた。

 私は殺される、と思った。仮に高いビルの屋上から頭から飛び降りたとしても、死ぬ事の無いこの世界で、だ。彼が『殺してしまう』と言った意味がわかった気がした。目の前の彼もまた同じ事を思っているのだろうか。自我を失いかけている自分と必死に戦っているのだろうか。

 私はいつも見ていることしかできなかった。
 医者になる前。
 不老不死の世界に変わってから、医者という存在に意味が無くなった時。
 牢獄の看守という仕事をもらってからも、そこにいたのは未来の無い囚人たち。

 そして、今も見ているだけになろうとしていた。私に出来ること…それは…

「ネディア!」

 彼の名前を強くさけんだ。

「お前にはお前の見つけた『役割』ってのがあるんだろう?だったら、それを果たしてみろ!それとも口だけなのか?私にその結果を見せてくれ!」

 ネディアは全身を震えさせながら私に向けていた手をもう一方の手で掴み、自身の胸元まで引っ張って抑えつけた。荒く息を吐きながら、そのままきびすを返し・・・

6:
 ネディアがどうなったか、それは知らない。探していた人物には会えたのだろうか?ただ、彼が塔の外に出る事ができたのは確かだ。なぜなら彼は壁に大穴をあけ、直接外に出たから。私はそこで初めて、自分が塔のどこにいるかわかった。一階だった。

 あの事件からさらに一年後、私は塔の仕事を辞めた。自分の足で、自分ができることを探したいと思ったのだ。彼に最後に放った言葉は、そのまま自分にもこたえた。そして彼がいつか言っていた科白、

「僕はひとつの『役割』を見つけたんだ」

 私もいつか、こんな事を言える日がくるだろうか。


「O〜オー〜 -REMIT second generation-」


 一年ぶりに更新。遅筆。しかも会誌に載せるというきっかけを作ってもらって。もうブランク空きまくりなので会誌で読む人で前回を知ってる人がいるとは思えないのでこれだけでも読めるように書いてみた。自我の後編を飛ばしたのはそのため。
 結局医者の名前決めなかったなー。
あとがき執筆:2003年5月26日