「この部屋の持ち主だと言っていた彼女に、このノートを渡されました。
 『何があったかは知らないが、私が信用できないなら、無理して信用しなくてもいい。ただ、君に起こった事やその時の考えは、忘れないように記しておくべきだ。これに思った事を書いておくといい。少なくとも、物は使う人を裏切らないはずだ』
 彼女に悪いことをした気がする。いくら他人に裏切られても、ひどい事をされても、いざそれを自分がした側となると、とても良い気分ではありません。ここで謝っておきます。ごめんなさい。でも、まだ他人を信用する事はできません。ごめんなさい。
 渡されたノートも、最初は使う気にはなれませんでしたが、『あそこ』にいた時に、このノートがあったらと思うと、自分のためにもやはり使ったほうがいいのだと思いました。今日はまだ疲れているので、また後で、今日の事を書きます。」

「暖かなベッドの中での目覚め。だけど、それはありえないとすぐに思い出しました。だからこれは夢、もしくは死後の世界だと思いました。ベッドから出ようとしたけど、左腕と両足が、まるで他人のもののように動きません。それは現実味のある感覚でした。
 しばらくたって、夢やあの世でない事はわかったけど、逆に、この程度の怪我で済んで、生きているのが不思議になりました。わたしは撃たれて、とても高いところから落ちたはずでした。でも、銃創は身体のどこにも見当たりません。
 そこで、わたしはわたしを撃った彼の事を思い出してしまいました。わたしは物心ついた時から、ずっとどこかの建物の中で過ごしていました。わたしにはそれ以前の記憶が無く、『みんな』はそれを思い出させようといろいろ助けてくれました。…わたしの持つ記憶を手に入れるために、です。
 結局何も思い出せなかったわたしは処理されそうになり、逃げ出したところを、本当に、一番信頼していたネディアに撃たれ、そのまま割れた窓から落ちました。
 そういう事を考えていると、部屋に人が入ってきました。女の人で、何か言っていたようですが、わたしは何も聞こえず、震えていました。あの日の感覚が一気に蘇ってしまったのです。いつまでもそこに居るので、出て行け、と叫んでしまいました。よくわからないけど、とても悲しいきもちになりました。少しビックリしていた彼女は、私にこのノートを渡してくれました。」

「左腕は普通に動くようになりましたが、両足はまだ満足に動きません。おかしな事に、左手も足も、ここで目覚めたときから傷一つありません。しかも手当ても何もされた形跡がないのに、一日一日目に見える早さで具合が良くなっていくのです。おかしいといえば空の色も緑色で、みんな緑色の眼をしていて、気持ちが悪い…?あれ、…そういえばなんで、空の色が変だって思ったんだろう。みんなが緑色の眼をしている事を気にしてるんだろう。わたしは緑色の空や眼しか見てないというのに。
 それから、普通に動くようになった左腕も、少し変です。身体の他の部分よりも冷たく、感覚が鈍いような気がします。そういえば『あそこ』で過ごした最後の日以来、左腕に普通の感覚が戻りません。」

「あれから彼女は、たびたび食事を運んできてくれたり、話しかけてきてくれますが、わたしはなんにも応えられませんでした。今日までは。今日、突然彼女は声を大きくして、わたしに向かって叫んでいました。ずっと独りで居るつもりかと。そのまま独りで考えていても、楽しくなるような事は絶対に無いと。その言葉はかつてネディアに裏切られた時と同じように、わたしの心に深く突き刺さりました。でも、前のそれとは違って、悲しい気持ちではありませんでした。彼女は叱ってすまなかったと言い、部屋を出ていこうとしました。

 ああ、あれは『叱る』という事なんだ。
 厳しくて、優しい。

 …わたしは、閉められたばかりのドアに向かって、『ごめんなさい』と言いました。今日からがわたしの新しいスタートだと思いました。」

「まず最初に、いままで互いに相手の名前を知らなかったので、教えあいました。彼女の名前は『ティナ』と言いました。これでわたしは二人の名前を知ったわけです。次に自分の番になりましたが、わたしは、自分の名前を途中までしか知りません。それをティナにことわってから、わたしは『オー』ですと教えました。最初の一文字しか知らないけど、昔の記憶で覚えている唯一の、大切な一文字です。それからわたしはティナに今までの事を話しました。
 全部話し終わると、ティナは窓の外を見るように言いました。緑色の空に、ビルがたくさん立ち並んでいます。その中にひときわ高くそびえる建物。上の方は緑色の霧に遮られ、その頂上を見ることができませんでした。いつのまにかティナの顔が横にありました。『オー、君はあの塔にいたんだ』そう言って塔を見つめる彼女の眼は、塔の高さよりもずっと遠くを見ている気がしました。」

「最近は勉強の毎日です。塔の中で教えてもらっていた事は、人としてふるまう上での最低限必要な知識のみで、多くの事は教えてもらっていませんでした。彼らはわたしの記憶のみが必要だったので、好奇心を煽るような余計な知識は必要ではなかったのでしょう。ここに新しく教えてもらった事をまとめてみます。
 まず、この世界では老いたり、死ぬ事はありません。そして『塔』は今のこの世界を管理している機関です。500年以上昔に、おおもとの理由すら忘れるほど長く続いた、大きな戦争がありました。人類は確実に潰える道を歩んでいました。しかしある時、大勢の戦災孤児を連れた緑色の目をした青年が、各地域に不老不死の緑の霧『REMIT』を散布してまわり、戦争の意味を無くしてしまいました。勝者も敗者もなく、戦争はおわったのです。
 それから500年、その時に生きていた人々は今も生き続けています。それから現在、社会問題になっている事として、大戦前に生まれた人『原世代』と、大戦後に(塔の人口管理のもとに)生まれた『新世代』との間の、思考・思想・価値観の違いの問題がまずひとつと、食事や運動、労働等の、生物が行うべき行動を長期にわたってしない事で発病する、『罪人』という病気の問題です。これにかかってしまうといわゆる植物状態、生きているだけという体になってしまうそうです。ただ、治る確率はとても低いのですが、完全に0ではないようです。」

「今日で勉強がひと段落しました。終わったところで、わたしは疑問に思ってティナに聞いてみました。犬や猫、人間以外の生物は存在するのかと。窓から見える空に、鳥が飛んでいない事を疑問に思ったのです。わたしは実際に鳥というものは見た事がありません。塔にいた時にネディアに借りた本(今思えば、おそらく、内容自体は大戦前に書かれたものなのでしょう)に、人間以外の動物について書かれてあったのを思い出したのです。すると、ティナはこう答えました。
『…人間以外の生き物は、まず最初に野生の肉食動物が、生きるための獲物を捕まえられなくなった。獲物が全て不死になったわけだからな。それ以外の、飼育されていた肉食動物と、全ての草食動物、雑食動物は、本来の寿命であるべき時を迎えると、途端に生きるための活動をしなくなった。こうしてほとんどの生物は『罪人』、いや、この場合は罪動物とでも言うべきか。みなそれにかかってしまい、目に付く限り塔に回収されてしまった。塔のどこかに保管されているという話だ。今活動している生物は、人間と、虫と、バクテリア等の微小な生物のみ。そしてこの三種の中で、人間だけがREMITの影響を受けながら生き続けている』
 わたしはそれを聞いて残念に思うのと同時に、彼らは生き物らしく生きていったのだとも考えました。…人間は何故、生き続けているのでしょうか。」

「ティナは、表向きは罪人になりそうな人の診察、治療をしていますが、裏では考古学者という仕事をしているのだと言いました。ここから地下下水道を通って、塔のふもとまで行きます。するとそこには、塔が隠している大昔の遺跡があるそうです。大戦時代よりももっと昔の、なんと今の文明が興る以前の文明のものらしいです。わたしはそれを聞いて、ちょっとワクワクしてしまいました。それを察したのか、ティナは『私は盗掘暦50年だぞ。塔のセキュリティ・システムや、見張りがいるから、素人のお前は連れていけない』と言って笑っていました。」

「普通に歩けるようになったので、夜になってからティナと一緒に外のテラスへ出てみました。霧の所為もあり、夜は視界がとても悪く、隣のビルですらほとんど見えません。それでも通りを覗くと、街には少しだけど人の往来がありました。そこへ風が吹き、乗り出していた身体がバランスを崩して、びっくりして転んでしまいました。まだ足が完全に完治していないみたいです。君はひどくREMITとの相性が悪いな。普通はあれくらいだったら半日あれば完治するのに、とティナは心配をしてくれました。ティナは、今日は少し冷えるなと言って、煙草を取り出して吸いはじめました。
「オー、ネディアの事なんだけど。…もう解ってるだろ?」
「…はい。彼はわたしを、あそこから逃がしてくれたんですよね」
「ん。君の味方はたくさんいるよ」
「ティナ。あなたもわたしの過去を知りたくて、親切にしてくれるのですか?」
「はは、ストレートに聞くなあ。まあ、知りたくない…といえば嘘になるな。だけど、それだけじゃないよ」
「それは一体なんですか?」
「うわ、そこもストレートに聞くのか…」
「ナンですか?」
「あ、後で言う」
 彼女はそう言うと、耳まで真っ赤にしながら部屋に戻っていきました。理由は聞いている途中でなんとなくわかりましたが、私は少しイジワルしてしまいました。この家にはわたしとティナしかいません。ティナはよく付き合っている友人や恋人もいないようです。前に叱られた時の言葉を思い出しました。

『ずっと独りで居るつもりか。そのまま独りで考えていても、楽しくなるような事は絶対に無い。』

 この言葉、自分にも言っていたんじゃないかな。前に見た、塔をみつめるティナの顔。ティナも何かを背負っていて、いままでずっと独りで悩んできたんじゃないのかな。
 それならば、一緒にいて、わたしの悩みを聞いてもらったり、時には彼女の話を聞いてあげたりすれば、お互いに気持ちが楽になっていくはず。わたしたちだけでなく、きっと全ての人には、他人との関わりが必要なんだと思う。
 わたしは…ネディアに会いたい。きっと彼も、自分がしたことを悩んでいるはず。一時でも悪く思ってしまった事を謝って、お礼を言いたい。そのためにはどうすればいいのかな?

 …ティナに、聞いてみよう!」


「O〜オー〜 -REMIT second generation-」


 二日で書きました。本編は書きやすいです。
あとがき執筆:2003年10月30日